3社目選定の基準
2度目のマイホームで快適な私生活を送れていましたが、仕事についてはそうではありませんでした。2社目については、年収は良くとも、種々の問題点を感じており、退職を決意しました(詳細は以下の記事をご参照下さい)。今回は、2社の経験を踏まえた3社目選びについてお話したいと思います。
-
関連記事2社目の問題点
続きを見る
最終的に3年足らずの在籍期間でしたが、3社目に転職することになりました。3社目の選定基準は、前にも書きましたが、「外資系×非大企業」でした。、まず外資系を選択した理由は、1社目と2社目の経験からです。色んな経験を積ませてくれた1社目(半分外資)の方が、純日本企業である2社目よりも、社風、文化は私に合っていましたので。その他、日本企業の給与体系に縛られたくないという気持ちもありました。
非大企業とした理由は、積める経験とDMU(Decision Making Unit)、との距離を考えたからです。大企業では、従業員が多くいますので、分業が進んでいます。そのため、一つの領域にフォーカスできますが、その裏返しとして、経験できる業務の幅は狭くなります。例えば、開発するとしても、製品全体の一部品だけなど。
一つの部品だけの経験しか積めないと、その部品が要らなくなった時のことを考えると恐ろしいですよね…。
そして、それだけ多くの人数が居る訳ですから、組織構造も複雑になります。その結果として、経営層との距離が遠くなり、彼らの考えも伝わりにくくなりますし、こちらの声も届けにくくなります。非大企業の方が従業員が少ないため、必然的に一人の従業員がカバーする領域が広くくなります。その結果、より多くの経験を積めるでしょうし、やはりDMUとの距離が近いことが、新規テーマを提案するうえで有利になると考えました。
DMUはマーケティング用語として使われることが多いようですが、ビジネス用語でもあるみたいです。
ここでは意思決定機関、つまり経営層の意味で使用しています。
3社目候補との面接
転職活動を始めて、もらったオファーの中から、上記の条件に一致するものに絞って探していると、そのうち1社から声を掛けていただきました。エージェントから、ちょっと話を聞いてみませんかとのことでしたので、ではお願いしますと言うと、先方から「こちらが行きますから、直ぐに会いましょう!」との連絡でした。
わざわざ新幹線使って会いに来ちゃうの?必死なのか、暇なのか…。
と思いましたが、その熱意に押されて、直ぐに半休取得して、私の自宅近くの喫茶店で面接することに。面接では、私が専門としている分野で、
などと言っていましたが、私が居た大企業とは比較にもならない小規模な体制で、そんなに開発が進んでいるとは考えにくかったです。
そんなに簡単に生産まで行けるものではないんだけど…。
と思い、一体誰が指揮を執っているのか聞いてみました。そしたら、なんと私の1社目の先輩でした!その先輩とは、直接的な関わりはなかったのですが、非常にクリエイティブで優秀な方だとは認識していました。その方が主導しているのであれば、実際は生産まではまだまだであったとしても、何か面白いことができそうな気がしました。興味を持ったので、次のステップに進むことにしました。
次は先方で面接です。残念ながらその先輩はご不在のようで、お会いできませんでした。折角なのでラボ見学をさせてもらったのですが、なんと設備はほぼありませんでした!こんな状態で一体どうやって開発を進めているのかと聞くと、委託先で作業させてもらっていて、設備は自社では持っていないとのこと。確かにイニシャルコストは抑えられますが、開発の自由度は低く、開発が長引けば外注の費用負担が重くなることは明白です。今後はどうするつもりか聞いたところ、
とのことでした。イチから自分の好きなようにラボを作れるというのは、なかなか魅力的な提案でした。優秀な先輩もおり、かつラボの好きなように作れるということで、この会社のオファーを真剣に考えてみることにしました。
家族会議
転職を進めるにあたり、もうひとつ考慮した点がありました。それは、勤務地です。私の転職のせいで、妻を地方小都市まで連れてきてしまいましたので、元の住居近くへ帰してあげなくてはと思っていたのです。フルリフォームを終えた2軒目は、居心地も良さそうでしたが、それでもやはり住み慣れた場所の方が嬉しいだろうと考えました。
この勤務地という点でも、検討していた会社は希望にかなっていましたので、妻と相談することにしました。前々から、2社目の仕事が面白くないことは伝えていましたし、元の場所へ帰れるし、理解を示してくれるものと思っていましたが、現実はそうではありませんでした。
と強く反対されました…。2社目の企業は、やはり世間的には、多くの人が憧れ、自分の配偶者や子供が勤めて欲しいと思う企業でしたので、「そこを辞めるなんてとんでもない!」という考えなのでしょう。妻以外に私の家族も、強く反対こそはしませんでしたが、あまり良い顔はしませんでした。
家族を交えた年収交渉
このまま2社目に勤務し続けるのであれば、仕事は自分と家族の食い扶持のためにだけこなす作業になる。毎日つまらない顔で家を出て、帰ってくることになるし、そんな人と生きていく方も楽しくないと思う。
と主張しました。 年収も、2社目の時よりも高くなるはずでしたので、それを伝えましたが、やはり安定してずっともらえない可能性が高いこと、退職金や福利厚生等も考えれば、少し増えるくらいでは割に合わないことを指摘されました。
それは私も織り込み済みで、加えて言うなら、地方小都市よりも首都圏に住むことで、生活費(特に住居費)が増える部分も考慮する必要がありました。ではこれらを考慮して、年収がいくらなら、転職に失敗したとしても後悔しないか話し合い、最終的に妻が決めた年収を受け入れてもらえるのであれば、オファーを受けることしました。
妻の提示した金額はなかなか高額で、その金額なら、企業側から断られるかもしれないなと思いましたが、家族の意見も尊重し、その金額であれば受ける旨をエージェントに伝えました。会社からの回答を待つこと一週間程、その金額で良いから来て欲しいとの回答が得られました。なんと妻の指値が通ったのです…。
「えっ、本当にいいの?」と思いました。
年収が増えるのは喜ばしいことでしたが、それに見合う働きをしなくては、寧ろコストとみられかねませんから、気が引き締まる思いでした。(同時に、短期で開発の目途をつけさせて、クビになったりしないかとも心配になりました…。)
ともかく、こうして3社目への転職が決まり、無事に年収を上げることができました。2度しかない転職経験ですが、今のところ年収は上げ続けることができています。幸せな会社員人生であるかはまだ分かりませんが、FIREという観点だけから見れば、これまでのところ、私の転職はうまく行っているような気がします。
転職の成功要因
前回の転職の成功の要因は、アウトプットを可視化させたことだと考えています。今回の転職にも勿論それは功を奏したでしょうが、それに加えて、人材としてのレアリティを高められたことが要因かと思いました(それぞれ以下の記事をご参照ください)。
-
関連記事初めての転職活動
続きを見る
-
関連記事レアリティを高めて市場価値を上げる
続きを見る
今回の転職先は、従業員数が非常に少なく、一人でカバーする領域がとても広いのです。ですので、勿論開発の担当領域も広げておきましたが、それ以上にMBAを取得していたことが評価されたと思っています。
3社目は非常に小規模であるため、事業企画、開発、生産技術、生産、マーケティング、品質管理など、各フェーズごとに担当者を置くことはできません。博士号に加えてMBAを取得していたことで、開発のエキスパートという以外に、これらを総括してみることができる人材と考えられたのでしょう。その結果、ちょっと無茶かもと思われた妻の指値も受け入れられ、まさにレアリティを高めたことが、狙い通りの結果をもたらしたと考えています。
では、3社目でのキャリアについては、また別の機会でお話させていただきます。次回以降は私の過去の資産運用(失敗談ばかり…)の話をさせていただこうと思います。